『わが名はアラム』

ウィリアム・サロイヤン作(1941年)。

カリフォルニア州フレズノが舞台です。アルメニア移民の家庭に生まれた少年アラムのお話。成長してニューヨークへ出るまでの間の様々な出来事を描くものです。親戚のことや学校生活などどうということのないエピソードなのですが、とぼけた味わいというかユーモアがあってのんきに読めます。ささっと読んで終わりになってしまい、読書を味わった感じにはあまりなりませんでした。
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『山荘綺談』

シャーリイ・ジャクスン作。原題“The Haunting of Hill House”(1959年)

丘の上の幽霊屋敷に、調査目的で男女数人が滞在します。展開が悠長で、半分くらい読んでも何も起きない。うーむ。この怪奇現象が実際あったら相当怖いと思うけれども、どきどき感がなくてちょっと残念。幽霊屋敷話では『ねじの回転』のほうが気味悪かったなあ。屋敷のいわれとか舞台設定は面白いと思うので、S・キングならもっと盛り上げてくれそう。

ぞくぞく怖いよ~~><って本、なかなかないなあ。
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『クレーヴの奥方』

ラファイエット夫人作(1678年)。原題“La Princesse de Clèves”。夫人は、ルイ13世、14世の時代の人ですが、小説はアンリ2世の時代(1519-1559年)設定になっています。

解説によると、当時の文学とは詩や韻文です。小説の地位は低かったため、匿名やイニシャルで発表されることが多かったそうです。『クレーヴの奥方』も無署名で刊行され、著者名が明記されたのは夫人没後80年以上経ってからです。

カトリーヌ・ド・メディシスやらメアリ・スチュワートやら世界史の授業を思い出すような、有名な王侯貴族たちがたくさん登場します。人物相関図を見ながら読みました。「将来起きるかもしれない不幸に向かって踏み出す勇気は持てそうにもない」と自分の意志を貫く道を選んだ女性のお話です。「奥方」といっても主人公は16-17歳。「シャルトル嬢」、「クレーブ夫人」と姓で表記され、なぜか名前が出てきません。
当時の宮廷生活の様相が興味深い。華やかでも窮屈そうです。新訳で読みやすかったです。

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『イギリス人の患者』

マイケル・オンダーチェ作(1996年)。
第2次大戦末期、フィレンツェの北、トスカーナの山腹に立つお屋敷が舞台です。ドイツ軍撤退後、一時病院として使われていましたが、ドイツ軍が屋敷周辺に爆弾を残していったため閉鎖されました。その危ない場所に残ることを選んだ看護婦と寝たきりの重傷患者、そして、あとからやってきた2人の男性が登場人物です。

現在と過去が交錯していてちょっと読みにくいです。たぶん、よい小説なのだと思いますが、構成や表現に気取りが感じられて、好きになれなかった。うーんあまりこれといった感想がないなぁ(--;

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『ヒロシマ』

ジョン・ハーシー著。増補版です。
ハーシーは、太平洋・欧州戦線の取材経験がある雑誌記者です。1946年4月、ライフ誌及びニューヨーカー誌の記者として広島を訪れ、3週間にわたり取材しました。
医者、牧師、事務員、ドイツ人神父ら6名の生存者の被爆体験が記されています。

当初版は、1946年8月31日発行のニューヨーカー誌に掲載され、発行された30万部は一日で完売しました。各地の新聞にも連載され、非常な反響を呼んだそうです。邦訳は1949年に出版されました。
1985年4月、ハーシーは、広島を再訪し、6人のその後を取材しました。この増補版には、その内容も載っています。

原爆投下直後、ある生存者は、「これはみな、人間なんだぞ」と自分に言い聞かせながら懸命に救護活動をします。負傷者の手を引いたら火傷のため、手が手袋みたいにそのままの形で抜けてしまいました。
…このような感じで、淡々と広島の惨状と放射能の恐怖を伝えています。
増補部分では、政治的ないざこざに振り回されて平和運動が分裂したことにも触れられています。

今日読んでも衝撃的な内容ですから、情報もさしてない当時、多くの良心的なアメリカ人に与えた影響はいかばかりかと想像します。
by itsumohappy  at 23:12 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『ムシェ 小さな英雄の物語』

キルメン・ウリベ作。
ウリベ氏はバスク語作家です。2012年に出版されたこの本は2作目だそうです。
スペイン内戦で生じた2万人のバスクの疎開児童のお話からスタートするので、その流れで進むのかと思ったら少々違っていました。主人公は、ベルギーの自由主義者ムシェです。「小さな英雄」とは、ムシェのような、他人のために身を捧げる市井のごくありふれた人です。
ムシェは、バスクから避難して来た少女を家に受け入れます。やがて対独レジスタンスに参加し、逮捕されて絶滅収容所へ送られます。

この本は、フィクションとノンフィクションを行き来する、あまり見ない構成になっています。何でも「オートフィクション」と言うようです。ムシェの娘にインタビューする著者の姿が挿入されています。
読んでいて流れがつかみにくい感じがあるので、構成としてはどうなのかと思いますが、日本人にはあまり知られていないであろう史実が多々記されていて、その悲惨さに胸がつまります。

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『グアンタナモ収容所 地獄からの手記』

モハメドゥ・ウルド・スラヒ著、ラリー・シームズ 編(2015年発行)。

著者は、1970年生まれのモーリタニア人で、奨学金でドイツへ留学し、ドイツやカナダでエンジニアとして働いていました。帰国翌年の2001年、米国の要請で身柄を拘束され、ミレニアム・テロ計画(ロサンゼルス空港テロ未遂事件)に関与した疑いでFBI捜査官から尋問を受けました。いったん釈放されましたが、再度の事情聴取の求めに応じ出頭したところ、CIAの輸送機でヨルダンに運ばれ留置され、その後、アフガニスタン米軍基地を経て2002年、キューバのグアンタナモ収容所に収容されました。
2010年、米連邦地方裁判所が著者の釈放を命じたのにもかかわらず、拘禁され続け、今年で15年になります。

この手記は、著者が2005年の夏から秋、拘禁中に習い覚えた英語(著者にとっては第4言語)による466ページの手書き原稿を、米政府による検閲の後、編集者が編集したものです。著者の代理人を務める弁護団が6年以上かけて、手記公開の許可を得ました。持ち歩くのも大変なボリュームですが、黒塗り部分が多いので、読むのにそれほど時間はかかりません。

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著者が拘束された主な理由は、1991年~92まで共産政権との戦いのため、アフガニスタンで、米国に援助されていたアルカイダの施設で軍事訓練を受けたこととみられます。「アフガン、ボスニア、チェチェン訪問者は生涯監視され拘禁されうる」とあります。「独立国であるはずのモーリタニアが身柄を外国人に引き渡した」という事実も信じがたい。世界には、米国の思うままにされ放題という国々も多いのです。

6年間で100人以上に尋問され(「有史以来、6年以上来る日も来る日も尋問が続いた例など、他にあるのだろうか?」)、罪状もわからず裁判にもかけられない。偽りの自白を強要され「自白」してもさらに攻め立てられるという「キャッチ22的」状況です。いっそ「自分が何かに関与していればよかった」と述べています。

2001年9月、米国は、テロに関わった国・組織・個人への武力行使を決定し、テロ容疑者の拉致・拘禁・拷問・殺害を目的とする法的根拠のない秘密作戦を始めました。そうして、連邦法、国際条約の効力の及ばないグアンタナモに集められた「極悪人」は、非戦闘員ばかりで、多年の拘禁で精神的に病んでいる若者も多いそうです。

著者は、ハンガーストライキを繰り返す一方、米国人を理解しようと聖書を頼んで入れてもらったり、理解ある看守と歴史、文化、宗教について語らうなどしています。
一方、自分のために100万ドルを超える税金が費やされており、グアンタナモの真実を米国民に伝えたいと訴えています。
 
オバマ大統領は、2017年1月までの就任期間中に、グアンタナモ基地の閉鎖を目指すそうですが、実現するでしょうか。このような本を読むと、米国という大国の怖ろしさ、現実のすさまじさにひたすら打ちのめされるばかりです。

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『オンディーヌ』

イポリット・ジャン・ジロドゥ作(1939年)。
戯曲で、水の精と人間の物語です。ジロドゥは、俳優兼演出家のルイ・ジュヴェのために多くの戯曲を書きました。

劇中劇のスタイルなど凝ったところもあります。「愛した自然を裏切り、踏みにじってしまう人間」がテーマのようです。もっとロマンティックな悲劇かと想像していたのですが、訳文のせいか水の精が少しはすっぱな感じで、いまひとつでした。
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『流』

東山彰良作(2015年)。
昨年の直木賞受賞作です。直木賞らしく、楽しく読めます。
「青春小説」などと紹介されていますが、それだけではなく、中台の歴史・文化・国民性なども描かれていて総体的に密度の濃い小説だと思います。純日本産の作家には書けない世界です。
あっというまに読んでしまいました。
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『白衣の女』

ウィルキー・コリンズ作。ヴィクトリア朝のミステリー作家です。1859年から翌年まで、ディケンズが創刊した雑誌に連載されました。当時はやったそうです。

けっこうな大作で、初めはそこそこ面白く読んでいたのですが、いかんせん長い‥。やはり今の感覚で読むと、訳文もそれなりに古めかしく、うーん、、どきどき感はもうひとつかな。

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『掏摸』

中村文則作(2009年)。

面白い小説です。
タイトルの通り、掏摸のお話です。比較的短いうえ、緊張感・恐怖感があってどんどん読ませるのであっというまに終わります。主人公がどうなったか、これはそのうち続編をぜひ書いてほしいです。

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『若者はみな悲しい』

F・スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)作。原題“All the Sad Young Men”。1922-1926年に雑誌に掲載された短編集で、自選集の第3編にあたるものです。

フィッツジェラルドは、上昇志向とかなわぬ夢、現実がもたらす小さな幸せなどをテーマに多くの短編を残しました。米国では、「期待値は高かったが未完のまま早世した」と評されているそうです。

この本にもグレート・ギャツビーを思わせるような話がいくつかありました。解説にあるように、人間観察と社会風刺がきいています。ですけれども、他の作品もいろいろ読んでみたい、と思わせる作家ではないなあ・・。それほど面白い世界が描かれているとは感じられない。むしろ、都会人の狭い社会の話に見えます。つまり、私にとっては、面白くないということです><
 
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『蘇る金狼』

大藪春彦作(1974年)。映画もドラマも観たことないし、話も全然知りませんが、タイトルだけは知っているぞ。というもののひとつ。図書館にあったので読んでみました。長くて意外に時間かかった。

車、銃、薬、そして殺し満載の、まあ、劇画を小説にしたようなものですね。主人公の手際があまりにも良すぎて、とても素人さんではないし、玄人にしてもできすぎです‥。そういうわけで、現実感がなくて(^^;

時代設定は、東京オリンピック開催前の東京。道路工事などが急ピッチで行われている頃です。読みながら、世の中いろいろ変わったなあとしみじみ思いました。犯罪小説で欠かせないアイテムのひとつである電話は、外出時、公衆電話かお店にしかない。あと、株券。昔、うちにもありましたが、硬めの紙に変な字体で印刷されたものでした。賞状みたいな大きさのもあったなあ。それからドルの購入。今みたいに自由に買えなかった。車についても、暖機運転という言葉を久しぶりに聞いたよ。

全体的な印象として、今の犯罪小説には見られないのは、一種の翳りでしょうか。戦争の影があり、権力に対する不信感あふれています。ラスト、ここまで来たら主人公にはぜひ逃げ切ってほしいと心配しながら読みました。身も蓋もないなぁと思いつつ、分別くさくなく終わらなくてよかった?です。
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『ねじの回転』 

ヘンリー・ジェイムズ作(1898年)。 
19世紀後半の英国では、「幽霊協会」などのクラブの会合で、霊的体験を語るのがブームだったそうです。そんな時代背景のもとに書かれた小説です。
英国の田舎屋敷を舞台に、家庭教師が遭遇する謎の出来事。家庭教師は子供たちを守るべく勇気を奮うのですが…。

出版直後、「魂が汚される邪悪な物語」と批判されたと解説されています。「従来の常識から大きく外れたセクシュアリティのありよう」が一因とされます。←このようなあとがきを読むまで、鈍感な私は、いまひとつ読み終わってぴんときませんでした。というのは、家庭教師の言葉や人々の感情表現が上品かつ遠回しなので、深読みできなかったのです。
イギリス帝国主義に対する批判もにじませた小説、ともあり、なるほどーと気づかされた次第です。

死んだ者も怖いけれども、無垢を装う子供のほうが実は怖いのかも。
H・ジェイムズの作品はかなり苦手ですが、これは短いこともあり、読みやすいです。
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『ジュリアス・シーザー』

シェークスピア作。
1599年、グローブ座のこけら落としで『お気に召すまま』と上演されました。日本では安土桃山時代の終わりごろですね。

劇の性格上、せりふも何だか大仰なので、実際に鑑賞したいです。この作品に限りませんが。思えば、シェークスピア作品の舞台って観たことないなぁ。昔、映画で「ハムレット」を観たくらいか‥。

ブルータスよお前もか。は、原文ではここだけラテン語 Et tu, Brute? だそうです。当時からシーザーの言葉として伝わっていると解説されていました。
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『闇を裂く道』

吉村昭著(1990年)。吉村氏は、『高熱隧道』でもトンネルを扱っていますが、これは、東海道線の丹那トンネル掘削のお話です。『高熱隧道』同様、当時の政治・社会情勢にふれながら、関係者達の度重なる労苦を記すというスタイルです。 

東海道線の全通は1889(明治22)年。国府津から沼津まで現在約1時間ですが、当時は2時間半以上かかりました。熱海までの線路を作れば半分の時間に短縮されるということで、1918(大正7)年、トンネルの建設が開始されました。

当時から保養地として有名だった熱海は、明治中頃まで、小田原から歩いたり人力車やカゴで訪れるところ。1896年に人車鉄道(レールの上で客車を人力輸送する)ができても、小田原から3時間半かかりました。有力な観光地&別荘地として人々をさらに呼び込むためにもトンネル開通が望まれました。

熱海側と三島側から人力で掘り進むうち、断層(今でいう活断層)に突き当たり、大量の土砂、水がトンネルの下部からも噴出、坑道は崩壊し死者67人を出す事故も起きました。
セメントを注入しながら掘り進めても、幾度も水が出て、芦ノ湖の貯水量の3倍にあたる水がトンネル工事で流れたとされます。その結果、豊かな湧水の地であった丹那盆地の水が減り、ワサビ田、水田、井戸が枯れ、飲み水に事欠く事態に。地元民の相次ぐ請願、ムシロ旗を立てての騒擾沙汰が起きました。

北伊豆地震(1930年)では、断層がずれ、トンネルの支えとする鳥居状に組まれた柱の右側が左に移り、左の柱は断層に入ってしまいました。30キロにも及ぶ断層のため、工事は難航し、7,804mのトンネルが開通したのは15年11か月後の1934年です。

政府は、水を失った丹那盆地の住民に補償し、地元の問題は解決しました。函南村の年間予算8万円のところ117万円が支払われ、また、函南駅も設置されました。

1938年頃から、軍需物資の輸送量の増加のため、丹那トンネルの脇に新たなトンネルの建設が計画され、41年から工事が始まったものの戦局の悪化で打ち切られました。戦後、掘削が開始され、新丹那トンネルが開通したのは62年です。

実際に東海道線に乗っていると、丹那トンネルは音も迫力あって、いつまで続くんだろうと不安になります。新丹那のほうも、新幹線なのにけっこう長く感じます。活断層を通っているので、地震の時は怖いですね。
今では想像することが難しい、昔の人々の苦労をしのぶ本です。
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『永続敗戦論』 

白井聡著(2013年)。副題「戦後日本の核心」。著者は、1977年生まれの社会思想・政治学者です。

著者は、敗戦を否認するゆえに際限のない対米従属を続けることを「永続敗戦」と呼んでいます。これが、戦後の国体であり、「敗戦を終戦と呼び換えるという欺瞞」によって戦後日本のレジームの根本が成り立っていると論じています。歴代保守政権により、「戦後」が際限なく続いてきました。
敗戦の否認のひとつとして、北方領土問題が挙げられています。講和条約で放棄した千島に国後、択捉は含まれていないと主張する政府の要求は「無理筋」であると。

以下、要約ですが、
日本の戦後民主主義は、冷戦の最前線を韓国、台湾、沖縄に担わせることによって生じた地政学的余裕を基盤に成立可能となりました。対米従属による平和と繁栄路線を支持した多数の日本人は、安全保障の問題を忌避し続け、できるだけアメリカの戦争に巻き込まれないようにする保証として憲法9条に利用価値を認めてきました。ですが、絶対平和主義は、生命を賭しても守られるべき価値として機能してきたのではなく、それが実利的に見て便利だから奉じられてきたに過ぎません。

2011年3月11日の大震災・原発事故は、戦後という歴史の区切りを示しました。3.11以降、各人が「自らの命をかけても護るべきもの」は何か真に見出す必要があります。国体の本質を内側からわれわれが破壊するか、外的な力によって強制的に壊されるか。戦後=平和と繁栄の物語を徹底的に再検証すべきである、と主張しています。

この度、安保関連法が施行されました。総理言うところの「戦後レジームからの脱却」です。今後、南スーダンとかで自衛隊員が大勢テロ攻撃に遭って殉職するかもしれない。そういうことも止むを得ないという覚悟を強いるのに、最初のステップとして、集団的自衛権の行使は合憲であると憲法解釈を変更するやり方をとったのは不適切だったと感じます。
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『地底旅行』

ジュール・ヴェルヌ作(1864年)
図書館で新訳を見かけて何となく借りてみました。ヴェルヌって読んだことがないので‥。

ドイツ人鉱物学者とその甥、地元の案内人の3人が、アイスランドのスネッフェルス火山から入って地底を2カ月探検するSFです。
昔、ヴェルヌの作品は子ども向けの本でよく見かけた気がしますが、今でも子ども向け『地底旅行』が受けるかというと、うーんちょっと難しいかも…。かと言って、大人が原作を読んでもどうかなぁ(--;;

解説によれば、ヴェルヌの時代には、「恐竜」、「進化」という言葉がなかったそうです。「進化」は、『種の起源』の第6版(1876年)で登場するとあります。
21世紀の今日では、この小説が牧歌的に見えるのはしかたない。冒険ものとしてもファンタジーでもちょっと苦しい感じ。どこか未知の星ならともかく、地球が舞台となっているぶん、何だか非科学的に見えてしまうのですねぇ><
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『低地』

ジュンパ・ラヒリ作(2014年)。
久しぶりのラヒリ作品。過去2、3作読みました。いずれも外れがなかった。インドには興味がないのですが、純粋にストーリーを楽しめます。
『低地』もインド人が主人公で、兄弟とその家族のお話。というと簡単すぎますが、あまりいろいろ書くとつまらないし‥。

心の痛みと異文化体験の描写が特徴かな。読んだ後、何だか寂しいような気持ちになるけれども、新作が常に気になる作家です。
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『魔術師』

ジョン・ファウルズ作。1965年に発表された作品です。この作家は、『コレクター』が有名ですが、大昔、その映画を観て、原作を読むのはいいや。と思った覚えがある‥。それで、なんとはなしに図書館にあった『魔術師』を読んでみたのですが。

これが長い。長くてもエキサイティングならよいけれども、何をやっているのかさっぱり???な小説でした。初めはミステリーっぽくてわりと期待したのですがー。だんだん妙になってきました。私には意味不明のお話でした。凝りすぎているのかな。長い分、しんどい読書になりました。選択に失敗>< 
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『その男ゾルバ』

ニコス・カザンザキス作。1946年に発表された小説です。原題は、「アレクシス・ゾルバスの生活と行状」だそうです。私が読んだのは、1967年に出版された訳です。

ギリシャのお話と言えば、オデュセイアとかギリシャ悲劇をいくつか読んだくらいで、現代ギリシャの小説はこれが初めて。映画化されましたが、観たことありません。

クレタ島が舞台というのがめずらしい。島の風土の描写が印象的です。
ゾルバはマケドニア出身で、ブルガリアに対するゲリラ闘争にも参加するなど、人生経験豊富な自由人。対して、語り手的に登場し、ゾルバと行動をともにする作家(もどき)は、頭でっかちのディレッタントで、ゾルバがいわば人生の師匠的存在となっていきます。

けっこうな大作で、半分以上進んでも話が一向に展開しません。こんな調子でこの小説は終わってしまうのか!?と思っていたら、やはりその通りになりました‥。
ストーリーを楽しむ小説ではなく、原題通りゾルバの行状を読むような。ゾルバの放つ言葉が小説のメッセージという感じです。

「自由」という言葉がひんぱんに出てきます。クレタ島は地中海ののんきな観光の小島というイメージしかありませんでしたが、解説を見ると、トルコや英仏ロシアなどに翻弄され続けてきた歴史が紹介されていました。そういう歴史的経緯やバルカン半島あたりの民族抗争などよく知っていれば、この小説をもっと理解できるかも‥><
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『山岳遭難の教訓』

羽根田治著(2015年)。こちらも山と渓谷社の新書で、「ベテラン登山者」の事故事例と教訓がテーマです。 

著者曰く、その場所でのその天候は初めて経験する、という意味で山登りのベテランは存在しない。ただ、経験を重ねることで多くの知識があるということに過ぎない。危機のとき一番いい判断ができるかが重要です。

6日間、山中を彷徨ったケースが印象的です。次々現れる幻覚に惑わされ、装備や服をどんどん捨てていってしまう。また、道迷いした登山者が、同じく迷っていた別の登山者に間違った方向を教えてしまい、その人は遭難して見つからないまま、という話もありました。行方知れずのその登山者は犬を連れていましたが、犬だけが1カ月後に帰ってきたそうです。警察は、犬を案内役にして捜そうとしたけれども、犬が嫌がってうまくいかなかった。ちなみに甲斐犬‥。道を教えた(つもりの)登山者は、不確かなことを言ったことを悔いて、警察と手がかりを探しに行きましたが、見つけられなかった。

日帰りハイキングでそれほどハードな場所でなくても、時々、山頂に行方不明者の写真が木につけられているのを見ることがあります。大勢の人が訪れる、神奈川の人気スポット、大山でも見つからない人がいるそうです。
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『もう道に迷わない』

野村仁著(2015年)。山と渓谷社の新書です。内容は、道迷い遭難の事例解説と防止策です。

2013年、全国での遭難発生件数は2172件で、道迷いによるものはおよそ42%とあります。ただ、地域によって違いがあり、長野県内では道迷いのケースは約13%。1位は転落・滑落です(33%)。

道迷いは、都市近郊の低山エリアで多発しています。北アと違って作業道、生活道が入り組んでいて迷う。首都圏で道迷い遭難が多いのは丹沢山塊で、最近はバリエーションルートでの遭難が目立つそうです。

道迷い遭難の増加の背景として、著者は、社会が根本的に道迷い遭難を軽視し、本気で向き合ってこなかったことと、遭難者がマスコミ・一般からバッシングされるため、遭難情報が公開されず検証が不十分になることを主に挙げています。

道に迷わないためには、ルートの研究、非常時の装備。もし迷ってしまったらまず引き返す。尾根・稜線を目指す。いずれもよく聞く常識的な心構えなのですが‥。
実際に歩いていると、分岐や標識を見落とすことがあります。地図を見ていても間違えたこともあるし。引き返すタイミングを間違えたこともある(^^; 変だな?と思ってもなぜかけっこう進んでしまって。

ひとつ感じるのは、気持ちに余裕がないとよろしくない。コースタイムから遅れていたり、バスの時間を気にしていたり。おしゃべりなどしていて間違えることもあります。分岐などルートの勘どころを常に頭に入れておかないとだめですね。
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『恍惚の人』

有吉佐和子作(1972年)。
これはとてもはやった小説&言葉で、子どもの私でも知っていました。
家に出版当時のものがありますが、何となく内容が想像できる気がして読んでいませんでした。しかしこう寒いとお昼に図書館に行く気力がないので、読んでみた。

じめっとしたみじめな老人介護ものかと思っていたところ、案外、筆致はさらっとしています。次々と起きる「恍惚の人」の変異は悲惨で、家族は皆、振り回され続けるのですが、さすがに有吉佐和子、読者をぐいぐいとひっぱります。

今なら多少描写が違うかな?と時代を感じさせるところもありますけれども、この本に描かれた苦悩はいつの時代も変わらない。いつか自分にも降りかかる、または、自分自身が恍惚となるという不安を社会的に示したという意味で、先駆的作品なのでしょう。
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『火山はすごい』 

鎌田浩毅著。副題「千年ぶりの「大地変動の時代」」。2002年発行のものに御嶽山噴火などの記述を加えた再編集版です(2015年)。 

日本には活火山が110あり、そのうち50が常時観測火山です。
東日本大震災後、地殻の動きが活性化しており、今後、20~30年のスパンでさらなる地震と噴火に見舞われるおそれがあります。千年ぶりの大地動乱の時代です。
 
火山の周りに都市が多い日本ですが、火山の監視・防災、情報公開の体制づくりが遅れています。国立の総合的な火山研究所がなく、研究費と人員に関するサポートが極めて不十分で、学者の使命感に頼るべきではないと指摘しています。

火山にはそれぞれ個性があって、一つ一つ手作業で対応する必要があります。火山学は、市民の要求するレベルの予知に達していないのが現状で、数日後のことが予測できる程度です。急激に活動が変化すると予測できず、例外はキラウエアと桜島くらいだそうです。噴火予知に成功した有珠山は画期的なケースでした。  

火山活動の変化が乏しくなり、警戒心が薄れたころに不意打ちを受けるのが怖いので、過去の出来事を参考に警戒を怠ってはなりません…といっても、一般市民にはなかなか難しいものですね。まさに、「天災は忘れたころにやってくる」です。

その、過去の出来事ですが、9世紀の貞観地震後、地震と噴火が多発しました。また、約100年の間隔でやってくる南海トラフ巨大地震は、発生の時期が科学的に予想できるほとんど唯一の地震で、2030年代に起きると学者は予想しています。3回に1回は超ど級で、次回はそれに当たっています。東日本大震災よりも一桁大きい災害となり、国家存亡を左右するということで、著者は、「地震・火山庁」設置の優先順位を上げてほしいと記しています。
 
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『下流老人』

藤田孝典著(2015年)。
著者は、埼玉を中心に12年間、生活困窮者支援活動に携わってきました。
著者の言う「下流老人」とは、「生活保護相当で暮らす高齢者、その恐れがある高齢者」で、現在、推定600~700万人だそうです。

貧困は、本人の問題として理解され、社会問題として議題に上がりにくいけれども、病気や事故で普通の人がたやすく下流に陥る。これからの日本社会にもはや中流は存在せず、ごく一握りの富裕層と大多数の貧困層となる。年収400万以下は下流化のリスクが高く、若者をめぐる問題(ブラック企業、非正規雇用の拡大、引きこもり、うつ病)が増えていることを背景に、現在の若者の多くは下流老人と化す。また、下流にならないよう若者は消費を控えるので、経済発展が阻害される。
つまり、下流老人問題は、我々自身の問題である、という内容です。

健康で文化的な最低限度の生活を送るのが困難な人々を生むのは社会、ということで、経済発展が優先の社会システムが問題であると指摘していますが、資本主義国ではある程度はいたしかたないかなぁ。(最近では社会主義国でも似たような感じ‥)
普通に暮らしていた人が、何かのきっかけでたやすく下流に転落してしまうとよく聞きます。そういう身になってみないとなかなか想像がつかないので、どこか他人事というか、我々の問題という意識を持ちにくいのでしょう。

生活保護に対する根強い恥辱感で、受給申請をためらう人が多いとあります。著者は、権利意識を持って受給できるよう、生活保護の保険化を提案しています。
また、下流に転落するのを防ぐには、地域社会への積極的に参加し、多くの人との助け合いの関係性を持つことが重要とあります。
by itsumohappy  at 12:30 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『一〇三歳になってわかったこと』

篠田桃紅著(2015年)。副題「人生は一人でも面白い」。
1913年(大正2年)生まれの著者は、今年で103歳です。100歳超ともなると、凄い‥としかいいようがありません。著者の父は1867年(慶応3年)生まれで、夏目漱石と同年のため、漱石を身近に感じていました。芥川、太宰の作品を同時代に読み、帝国ホテルで芥川を見かけたこともあるそうです。そうすると、100年前というのは案外昔ではないような気がしてきます。

長い人生で得た、暮らしの教訓的な本です。毎日を自然体で生きるように心がける、とあります。長生きを望むなら、食事、睡眠、仕事、家事、人間関係など、その人に合ったいい加減さを保つ。何かを面白がる気持ちを持ち続け、生きていいるうちにやりたいことをなるべくしておく。この程度が自分の人生にちょうどよいと満足できる人が幸せになる、などと言っています。
奇抜な記述はありません。100歳超の余裕を感じます。

ジタバタしていないのは、おそらくこの方が健康だからでしょう。制作活動が続いても、腰痛も肩凝りもないそうです。経済的にも恵まれているのだろうと思います。
病身で貧してしまうと、そしてそれが自分の落ち度ではなかったりすると、「自分の心が幸せを決める」と言われてもたぶんぴんとこない気がします。
by itsumohappy  at 17:50 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『いつまでも若いと思うなよ』

橋本治著。2014年、「新潮45」に連載されたエッセーに加筆したものです。1948年生まれの著者は、執筆当時65歳くらい。

久しぶりに橋本氏の本を読みました。最近、新作を見かけないと思っていたら、何万人に1人という免疫系の不治の難病を患っているからなのですね‥。そのせいか?基本的には書き散らした感じでまとまりないです。何でもけっこうな借金も長年背負っているそうで、普通の人なら相当つらい状況です。それでも深刻そうには書かないのが橋本氏らしいですが。

見た目も体も老いてきているのに、気持ちがジタバタと抵抗する様子がユーモラス。いつもタクシー利用では苦しいから、バスに乗るけれども、道端に立ってアホ面をさらしてバスを待つのが貧乏たらしくて嫌。バスに乗ったら乗客は年寄りばかりで、その仲間入りが決定してしまうからバスは嫌。等々、叫んでいます。

今の年寄りは、自分が年寄りであることを認めたがらないのが昔の年寄と違うところ。年寄りに対して年寄りと言ってはいけない、とコメントしています。そして、頭の中だけまだ若いから、老いる自分が認められない。老いは他人事で、自分以外の年寄りは嫌である、と。こういう複雑な心境は、その時になってみなければわからないですね。つまり、私にとっても老いは一応まだ他人事ということか。
最後に、老いの先にある「死」について、考えるのは無駄だという答えしかくれない、とありました。
by itsumohappy  at 21:44 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『フランケンシュタイン』

メアリー・シェリー作(1818年)。意外とこの本の出版は古くて、日本では文化文政期。同時代人に、杉田玄白や高田屋嘉兵衛がいます。
メアリーの両親は自由主義者で文筆・思想家でした。17歳で詩人シェリーとヨーロッパへ駆け落ち。翌年、娘を出産(すぐに死去)。翌翌年に息子が誕生した19歳の頃に『フランケンシュタイン』を書き始めました。シェリーの妻の自殺後、正式に結婚しましたが、25歳の時、シェリーは、自殺同然に嵐の海へ出て溺死し、困窮したメアリーは執筆活動に励みました。

この作品しか私は知りませんが、読んでみると江戸時代の小説なのにその想像力に驚かされます。優しく善良に造られたのに、惨めな境遇のために悪魔となった、呪われた怪物の復讐話。怪物そのものの描写もですが、その苦悩と創造主への反逆を表したことに、この小説の先進性というか現代性があったのかな。科学は人類に幸福をもたらすのか?という読解のほか、出版当時は、資本家と労働者階級との対立、という解釈もあったそうです。
by itsumohappy  at 20:37 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『昭和の犬』

姫野カオルコ作(2013年)。
初めて読む作家です。「犬」の言葉に弱いので、つい手がのびました。
「三丁目の夕日」的といいますか、ある時代に生まれた人なら、ああ、こんなことあったなぁとちょっと思い出にひたれるようなお話。作者はこの本を「昭和33年に生まれた主人公の5歳から49歳まで、各々の時期にあった何気ない出来事を、遠い風景画のように描いた話」と述べています。
1955~65年位に生まれた読者なら「何気ない出来事」のいくつかは覚えがあるかな。 私も「二段ベッド」がうらやましかったのを思い出しました。

「昭和の犬」というだけでイメージが出てきます。昔の家は、うちの田舎がそうでしたが、どっかからもらってきた雑種を放し飼いしており、犬は日中、勝手に家を出て街中をふらふら歩いていました。
「ラッシー」がはやった時は、コリーが人気でしたし、なぜかスピッツがもてはやされた頃もありました。「昭和の猫」じゃ、ぴんときませんね。

全く世代が合わない方々にとって、この本はどうなのか?微妙なところはあるでしょうが、素直に語られているのでお話としてそれなりに読めるとは思います。
ただ、そのような方々向けに、
<名画座:レンタルヴィデオが普及するまで、古い映画は名画座で見るしかなかった>
<雨降り画面の映画:フィルム劣化で雨が降っているように見える古い映画のことをかつてこう呼んだ>
みたいな注釈が入ります。私には、かなり興ざめでしたが(--;

懐古趣味で狭い世界と思いつつも、結局のところ、この本を読めたのは、昔の出来事を多少知っていたことのほか、声が小さく、他人と接するのが苦手な主人公、戦争を引きずる父、散歩犬との楽しい出会い等々、私自身のことと重なる点があったからかなあ。派手なことは何もないけど「今日まで、私の人生は恵まれていた」とつぶやくところにも共感しました。

by itsumohappy  at 23:24 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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