『100年前の女の子』

船曳由美著。(2010年6月)著者は、平凡社、集英社の編集者を経て現在フリーの編集者。著者の母、寺崎テイ(明治42年生)の少女時代の回想をまとめた本です。

館林に近い農村「高松村」が舞台です。テイの実母は、里でお産した後、戻る気が失せてしまい、生後一ヶ月のテイだけが産着とおむつを付けられて嫁ぎ先に届けられました。実母とは生涯会うことはなかった。ヤスおばあさんがしばらくは面倒を見ましたが、諸事情で、里子にあちこち出された挙句、他家の養女となります。ボロ着てこき使われ、結局は寺崎の家に引き取られました。賢いテイは足利高等女学校に進み、卒業後は上京して再び学校に通い、自活の道を切り開いていきます。継母が産んだ妹が婿取りして跡をとる、という約束になっていたため戻る家がなく、ひとりで生きていかねばならなかったのです。東京で通った新設校は森本厚吉が作った学校で、校長は新渡戸稲造。吉野作造の紹介でYWCAに就職したテイは、キリスト教の理想に燃える青年と知り合い結婚。しかし、夫は理想主義者すぎてヒューズも直せなかった。貧乏暮らしがずっと続いたけれども、5人の子を全員大学にやりました。辛抱・我慢を重ね、苦労の多かったテイは、米寿を過ぎるころになって急に昔語りを始めたそうです。

幼い子でも農家では立派な労働力。5歳くらいなら畑仕事のほか、掃除・水汲み・かまどでご飯炊きなど普通にこなすんですね。働きづめでも、お盆や正月など季節の行事を心待ちにしていたことなど、当時の農村の生活が生き生きと伝わってきます。あと、印象的なのはヤスおばあさん。新聞・本を読み、「世の中がよく見える」人でした。「お墓まいりのお供え物を物陰から待ち受けている、貧しい人たちの顔を見るな」とか「街道を(物乞いのため)歩いてくる者を手ぶらで帰すな、きたない姿をしているものでもバカにしてはいけない」などとテイにこんこんと諭す、昔の、豊かでなくともまっとうな日本人像そのものです。

私の田舎は北関東なので、風景や食べ物等、この本の描写と似たところが多く、より関心をもって読めました。わたしの2人の祖母(明治31年生・宇都宮高等女学校卒と明治37年生・足利高等女学校卒)たちはどんな暮らしぶりだったのかなぁとも思ったりして。
あとがきに、老人介護施設にいる100歳となったテイは、「わたしにはおっ母さんがいなかった…」と著者に抱きついて泣く、などとあり、何だか胸がつまりました。
by itsumohappy  at 18:04 |   |  comment (4)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments

生活の記憶

作太郎さん
いまや失われた農村共同体の暮らしの様相などこうして記録しないと忘れさられますね。
ランプの下で受験勉強をした少女が、(自ら進んで望んだわけではないが)努力を重ねて経済的自立を果たしていく過程に、歴史書の説明ではぴんとこない近代の一端を具体的に感じることができました。
by hiro 2011/02/14 22:57  URL [ 編集 ]

No title

maccha12さん
昔の人は偉かったです。今はずっと物質的には豊かになっているのに、どうも凛としていない感じですね。テイさんの記憶力に驚かされました。 
by hiro 2011/02/14 22:34  URL [ 編集 ]

親子二代のプロジェクト

船曳さんは、これを書かずにはいられなかったのでしょうね。現在のお仕事も、ひょっとしたら、このプロジェクトを完成させるための下準備と位置づけておられたのかも知れません。すべて想像ですけれど。
by 作 2011/02/13 23:18  URL [ 編集 ]

No title

悲しいお話ですね。それにしても昔の人はすごいですね。
今の若い人達に聞かせてあげたいと思いますが、「何言っているの、時代は変わっている」と馬鹿にされ相手にされないでしょうね。
by maccha12 2011/02/13 20:14  URL [ 編集 ]
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