『白い蜘蛛』 

ハインリッヒ・ハラー著。
もとは58年に出版された著者のアイガー北壁登攀記です。加筆され、99年に新たに出版されました。内容は、98年までのアイガー登攀史です。けっこうな大著で、ハラーさんたちが初登攀を成功させたあたりまではのんびり読んでいましたが、だんだんざっと読みになってしまいましたー。

アイガーといえば、昔から外国の山でわずかに名前知っているもののひとつでした(他はエベレストとキリマンジャロ)。学生時代、ユングフラウの登山電車に乗ったとき眺めました。↓一緒に写真も撮ったの(私、下半分に写っていたけどカット・・)。
垂直というか、そっくり返っているんじゃないかと思うくらいの絶壁です。
kabe.jpg

白い蜘蛛、はこの山の頂上壁のことです。岩が割れ、裂け目に氷が走る難所で、北壁を選んだものは必ず通らなければならない。このぼけた写真ではよくわからないけど、上のほう、線が放射状に走っています。

アイガー(3,975m)自体は1858年初登頂されています。19世紀後半に南や西壁が登攀され、北東、南東壁も登られて残る北壁(1,800m)の初登攀に成功したのが、ハラーたち4人でした。(ハラーらオーストリア人2名とドイツ人2名。38年。) 2パーティーは、はじめばらばらに登っていたが、雪崩などに巻き込まれるうち、互いに功名心などはなくなり、途中から一緒に登ることになった、とあります。

アイガー登攀で面白い?のは、ふもとのクライネシャイデックから観光客が双眼鏡で登攀を眺められることですね。一種の「公開行事」とあります。

雪崩、落石、天候の急変が当たり前で、滑落すれば千m以上まっさかさま、体はばらばらになってしまうような、いわば「手の込んだ自殺形態」なのに、登攀に挑戦するのは、著者によれば「アイガー菌がいて、登山家にとり付く」ためだそうです。アイガーには冒険への欲求を呼び起こす何かがあると。
悲惨な事故が多発した年のあと、しばらく登攀が禁止されたこともあります。
36年の事故(トニー・クルツら4名が死亡)は最近映画化されました(『アイガー北壁』。東京では3月20日公開)

ハラーらの北壁初登攀後も、人々の新たな挑戦が続いたことが記されています。直登ルートの登攀、女性の初登攀、冬期初登攀、単独初登攀、最短時間登攀(1950年には1日になった。ハラーたちは3.5日ほど) などなど。日本人たちもずいぶん挑戦していますね。69年、加藤滝男ら6名が夏季最直登ルートに成功。「ジャパン・ディレティッシマ」を開きました。 

ハラーは、ザイルを結んだ仲間との深い信頼関係をしみじみ語っています。国籍など関係なく人間同士は兄弟になれると。ヒマラヤを越えてラサへ逃避行したときも、仲間と決して離れないという固い決意で生き抜いたそうです。

本の終わりのほうでは、山のゴミ問題、山岳ガイドや救助隊のことにも触れています。
ハラーらの登攀は、時節柄ナチスの宣伝に使われてしまったり(オーストリア併合は38年)、ハラー自身もナチス党員のみならず親衛隊員でもあったことが暴露されるなど、まあいろいろ大変だったようですねぇ。06年、93歳!で亡くなっています。

by itsumohappy  at 00:37 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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