『日本の思想』

丸山真男著。
昔の岩波新書をいくつか引っ張り出して時々読んでいます。この本の奥付見ると、61年発行で100円。中高時代の課題図書で読んだような気がする。ほとんど覚えていないのは、理解していなかったからでしょう。

論文が2つ、講演の要約が2つ入っています。表題は、冒頭にある論文ですが、講演のほうもある程度論文の内容に関連したものを載せています。

『日本の思想』について。うーん。とても片手間に斜め読みというわけにはいかない。じっくり読まないと頭に入らない。丸山真男ですから。大学受験の国語の練習問題を思い出す。日々お手軽な文章ばかり飛ばし読みしていると、こういう本を読むのがちょっと苦しいというか面倒くさくなる>< 昔の新書は教養主義路線を意識していたかな。今の新書の位置づけとはちょっと違う気がします。

主張をすぐ知りたければ論文の最後を読めばよいですね・・・『日本の思想』の結論を要約すると、「思想の雑居を雑種にまで高めるエネルギーは、強靭な自己制御力を有する主体なしには生まれない。その主体を私達が生み出すことが、とりもなおさず私達の「革命」の課題である。」です。

つまり・・・ わが国には自己を歴史的に位置づけるような中核となる思想的伝統は形成されず、新思想が次々と無秩序に雑居してきた。それらの思想が交われば雑種という新たな個性が生まれるが、そうではなく空間にただ同時存在している。我々は、そういう雑居的無秩序な思考ではなく自主的な思考を高めていかなくてはならない。・・・ということです。

著者は、近代日本の思想の機軸として「臣民の無限責任」によって支えられる近代天皇制=「國體思想」を挙げています。その國體(何故かこれには旧漢字を使っている)思想は、思想を整理する原理とならず、内面の同質化という異端を排除することに強く作用したため、「人格的主体」や「責任主体」の確立を妨げたと指摘しています。

日本の社会は、「基底に共通した伝統的カルチュア」がある(ササラ文化)のではなく、分化した知識集団がそれぞれ閉鎖的に存在(タコ壺文化)している。戦前は、タコ壺間をつなぐ共通語は天皇制であったが、現代のそれはマス・コミュニケーション。
後半の講演記録では、マスコミによる思考の画一化・平均化作用や「タコ壺」の無限の細分化がもたらす思考の硬直などについて触れられています。

ササラとタコ壺がこの論文の決め言葉ですね。この表現は何となく覚えていました。
ところで、ササラって見たことも使ったこともない。茶せんみたいな形のものかな?
by itsumohappy  at 23:47 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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