伊藤乙次郎述。奥日光の千手ヶ浜に住んでいた「仙人」の聞き書きです。昭和61年出版当時、84歳のおじいさんで、写真を見るとまさに仙人の雰囲気です。
昔は、いろは坂の上に人は住んでおらず、明治のはじめ、男体山の女人禁制がとけたのをきっかけに、乙次郎さんの祖父がはじめて定住したそうです。乙次郎さんは、山が大好きで、昭和のはじめに千手ヶ浜に入り、上流階級の外国人相手の釣りクラブの管理人をする傍ら、魚の養殖、鹿や熊撃ちなどで暮らしていました。雪深い冬場になると、ひと月誰とも会わない、なんて感じだったそうで。
昔の人はよく歩いていましたね。歩くしかなかったのでしょうが、尾瀬まで1日で行ったなんてすごい。日光の続きとはいえ、かなりありますよ。檜枝岐でテントをはったことが出ているのですが、当時、檜枝岐は、米も食べられないひどい暮らしぶりで、乙次郎さんは「(裕福な)日光の人だから」出してあげられる食事が何もない、と断られまくったと話しています。
この本で面白いのは狩猟の話です。猟師はわりにあわない仕事なので、生活の糧は魚とりメインに得ていたけれども。近辺には、イノシシ以外の本土の全てのケモノがいて、乙次郎さんは犬連れて一人で猟をしていました。
鉄砲の弾が出なくて、熊にやられかけたときは犬が助けた。犬は何十匹も飼ったうち、ものになったのは、1,2頭。いい犬はめったにいないって。歩くとき、主人の「あと」・「先」を教え込み、今だ!というときに「先」に行かせるのだそうです。
菖蒲ヶ浜にキャンプ場が出来てから伊藤さんの存在が知られるようになりました。アルバイトで来た学生がもらい風呂などで寄るうちに「仙人」にさせられちゃったと。
そんな仙人の仙人らしからぬ言葉。「人間なんてのは、・・・みんな人と人との、つながりで生きてんだから。みんな、お互い、人の世話になってね。・・・人の一生なんてもんは巡り合せだね。」
伊藤さんの人生では、釣りクラブに来ていたイギリス人外交官との出会いが大きかったようです。
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