『失われた時を求めて』 第五~七篇 

「囚われの女」「逃げ去る女」「見出された時」(9~13巻目)です。

やっと最後まで読みました。3か月かかったよー 
「囚われの女」からは、プルーストの死後、関係者が原稿を整理して出版されました。まとめた人によっていくつかの版があります。作者の推敲が完全ではないので、矛盾する箇所も多々あります。そのような疑問点は、各巻の脚注で解説されており、それを参照しながら読むのもけっこう手間です。

『失われた時を求めて』は、全く読者の存在を意識しておらず、ひたすら主人公の私生活と社交生活の様相を、教養をちりばめた表現でえんえん描写する小説です。注記がなければさっぱりわからない部分が多い。注記を見てもわからないところもある。サロンでの会話も何が面白いのかぴんときません。
話の流れも、思いつくまま書き連ねている印象で、まとまりがない。なぜか傑作らしいのですが、当時の大国、フランスの大長編小説だからなりえた? やはり、現在でいうところの「小説」とは異なります。私のイメージする小説は、プルーストのほぼ同時代人をあげればゾラの作品でしょうか。

『失われた時を求めて』の前半では、名門貴族のエレガンスの真髄のようなものが語られます。毎夜のように開かれるサロンでの知的なやりとり。主人公にとってはそれが普通の世界であるところに何か居心地のわるさを感じてしまいます。ゾラが描いた下層階級、例えば炭鉱夫の惨めな生活などを思うと、社会の分断ぶりは想像を絶するものがあるのですが。

後半では、上流貴族のサロンに、次第にブルジョワ階層が入り込んでサロンの質が変容し、貴族たちも老いぼれて輝きを失っていきます。また、主人公は、同性愛と倒錯の世界にもひとかたならぬ関心を持ち続ける一方、仕事としての書き物にはそれほど華々しい発展はありません。これは、体が弱いのとなまじ裕福であるため、死にもの狂いにならなくても生きていけるからですね。

「囚われの女」に、主人公がアルベルチーヌを幽閉状態にして始終貢物をし、ママンは浪費に腹を立てるというシーンがあります。ロールスロイス、毛皮、宝石。ヨットも検討している。家の金使い放題の、わがままでしかも卑怯者の主人公にげんなり。審美眼とか芸術談義とかそりゃあたいしたものなのかもしれませんが。

『失われた時を求めて』でもドレフュス事件には何度も言及されています。でもドレフュス支持か反ドレフュスか、主人公は観察するだけで、批判の姿勢をはっきりとは見せません。これは、もしかしたら検閲とか、当時の出版事情を意識したのかも。そこいくとゾラは勇気がある行動の作家でした。

まとめますと、安楽な空間で、妄想と趣味的生活に浸る半引きこもりによる超長大な独白録。何かしらの描写が優れているとしても、何もこの小説で見つけなくともよいと感じました。気の短い私には全く向いていなかったです><
by itsumohappy  at 23:02 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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