『チャーリーとの旅』 

ジョン・スタインベック著(1962年)。

チャーリーの本名は、シャルル・ル・シアン。フランス生まれのフランス育ち、正確な「F」の発音ができる唯一のスタンダードプードル。スタインベックは、そのチャーリーと、「自分自身の国を知る」ため、特注のトラック(今でいうキャンピングカー)「ロシナンテ号」に乗り、1960年の9月から4か月間、米国の34州をめぐりました。ニューヨークから西に、デトロイト、ウィスコンシン、イエローストーン、サンフランシスコ、サリーナス(故郷)、ニューオーリンズ、と南部を抜けてニューヨークへ戻る道のり16,000キロの旅です。

スタインベックは、話す相手が気遅れしないよう、有名人であることを隠して旅しました。行く先々での人々との出会いがユーモラスに語られていて読んでいて楽しい。ただ、人々との政治談議を望んでも、当時はまだまだ赤狩りの後遺症があり、政治信条を聞きにくかったとあります。

旅先のあれやこれやをのんびり読み進め、頁も少なくなってこれで終わりかな~と思ったら最後の最後でがつんときました。さすがに社会派の作家、全てのんきな話で終わらせたりしません。

スタインベックが、「目にすることを恐れながらも見聞しなければならないとわかっていた場所」と言う、苦しみの南部の記述は衝撃的です。ニューオーリンズの小学校に黒人の子供2名が警官に警護されながら通学するところを、毎日、白人中年女性が集団で罵倒するという「珍妙な茶番劇」です。その「チアリーダーズ」を見物する人々(スタインベックも加わったのですが)もおり、「苦痛、混乱、狂乱のすべて」の異常さに恐怖を覚えると作家は記しています。裁判所命令により、白人しか通えなかった学校に通学が認められた小さな子供が、日々、罵声を浴びせられて怯えきって登校する。当時の南部はこんな様相だったのです。

旅が終わって、スタインベックは、自分の国の真実を探して旅に出て、答えをみつけたと語れればどんなによいかと述べています。すべてのものを見るのは無理であり、真実を見つけるなど、そんな簡単ではない。そして最後に、「人が旅に出るのではなく、旅が人を連れ出す。旅そのものが個性を発揮し始めたら、定めた目的も計画も木端微塵になる。安らかに旅に身を任せて初めて欲求不満が解消される。旅をコントロールするというのが間違いである。」と、味わい深く語っています。

最近、旅行があまり楽しくなくなった理由が少しわかった気がします。私はつい、時間の限り行きたい箇所をかけずり回ってしまい、言うなれば「視察」と化しているのかも(――;
by itsumohappy  at 23:35 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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