『京都ぎらい』

井上章一著(2015年)。
今年最後に読んだノンフィクション。京都関係の本は何となく手に取ってしまいます。

著者は、京都市西京区にある国際日本文化研究センターの副所長です。花園生まれ、嵯峨育ちで宇治暮らしという、関東人からすれば京都の人そのものに思えますが、著者によれば、京都市で生まれ育ったと屈託なく言い切ることができず、「京都人」としての自覚がない「よそさん」だそうで。
今でも、洛中のつどいへは居留民の気持ちで出ていて、他の地域を見下す洛中人の思い上がりにいらだちを覚えるとあります。

京都は、洛中的価値観がのさばる街。学生時代、建築を学んでいた著者は、今は重要文化財となっている杉本家住宅で、杉本秀太郎氏から出身地を聞かれて答えたところ、「嵯峨か、なつかしい。昔、よく肥をくみにやってきた」みたいなことを言われて蔑まれたことがトラウマになっているようです。確かにそんな失礼な言いようはないですねえ。
これは、著者の「京都弁」を聞いた杉本氏が、微妙な言葉の違いに気が付き、(嵯峨のくせに)京都の人のようにふるまって、勘違いしたらあかんでという注意喚起なんだそうで。実際、昔、嵯峨の老人は市中に行くことを京へ行くと言ったらしいです。

戦後の民主主義教育を受けた著者は、京都の子供として扱われながら、「京都人」と接するうちに実は京都の子供じゃないと気づいた。それは、自身の「崩壊感覚」のようなものだった。そして、「京都人」の中華思想に汚染され、妙な差別意識を植え付けられてしまって、自分がどこか亀岡や城陽を低くみるような優越感を持つようになり、そのことに嫌悪感を覚える…といったなかなか屈折した感情を記しています。「京都人」と接しなければもっと健やかな人間になっていた、って…(^^;

そんな著者が、唯一、洛中の人と価値観を分かち合えるとすることは「七」の読み。七条はひちじょう(ひっちょう)、上七軒はかみひちけん、です。江戸っ子のほうは、「ひ」が言えないとよくいいますが。

洛中人への敵意の披瀝?の他、商売熱心な京都のお寺についてのコメントなどが書かれています。寺の建物や庭に肖像権や意匠権はないが、雑誌社は、お寺にグラビアページへの「志納」を払う。1点3万円が相場だが、「金銀苔石」(金閣、銀閣、西芳寺、龍安寺)は10万円以上らしい。最近さかんなライトアップ料金も拝観料同様お布施なので、非課税。寺側が「拝観停止」で勝利した古都税問題以来、行政は拝観料に手を出せない。祇園は有名なお寺の坊主でもっている‥等々。

このお寺の拝観については、私も不満に思うことが多いです。春も秋もライトアップは人気ですが、誰も志納だと思っていないですね。イベントの入場料です。券を買うのも行列です。坊主○儲け。拝観も、庭や一部の部屋が別料金というところは多い。南禅寺など塔頭の庭まで入れれば一通り見たら5千円位かかるんじゃないかな。
by itsumohappy  at 23:44 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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