『安吾の敗戦後考』

坂口安吾(1906-1955)著。
昔の作家は、写真を見るとみな壮年、老年に見えますが、案外早死にの人も多い。漱石や三島由紀夫も50歳前に亡くなっています。坂口安吾もしかり。紙くずに埋もれて机に向かう姿など、健康で長生きというイメージはないですね‥。私が読んだことがあるのは堕落論くらいで、実際どんな作家なのか知らないに等しいです。

この本は、昭和20年~27年の間に『文学界』等に掲載された、太平洋戦争に言及しているエッセーで構成されています。(「もう軍備はいらない」、「戦争論」、「ぐうたら戦記」、「堕落論」、「続堕落論」、「咢堂小論」、「特攻隊に捧ぐ」、「ヒンセザレバドンス」、「わが戦争に対処する工夫の数々」、「二合五勺に関する愛国的考察」、「通俗と変貌と」)

戦争中、著者は、知人からの疎開の誘いを断り、東京にとどまりました。「「一人の馬鹿」として戦争と遊び戯れ」、空襲のたび、まだ燃えている焼け跡を歩き回り、「空堀や劇場のなかに何千という人がひとかたまりでいぶっている」様子などを見ていました。散らばっている人々の死体は、なんの変哲もない自然の風景で、それは1分後の自分の姿かもしれないというさしせまった思いを日々抱き、国と一緒に自分も亡びる気だったとあります。

血まみれの首が転がっていても全然不感症、そばでベントーも食えたであろうと語るくらい理性も感情も失われ、「はるかなきりもない旅をしている」ような虚脱の日々、という著者であるから「何が美しいと云ったってサクレツする原子バクダンぐらい素敵な美はないだろう」と日本の破滅を表現できるのでしょう。こういう、率直な物言いは現代ではなかなか目にしませんからある意味新鮮です。

「咢堂小論」(昭和22年)というエッセーが印象的でした。尾崎咢堂について、今やジャーナリズムが、政治の神様扱いしているのは間違いだ、政治の主流的存在のごとく扱うのは危険だ、という内容です。
咢堂の「世界連邦論」は重量ある思想としつつも、同人は、個(人間性)の対立について何ら着目しておらず、真に誠実なる人生の求道家ではない。より高い真実と道義と理想に燃えていても、政治家はまず実務家でなくてはならない。例えて言えば、咢堂は、文学理論家であって小説の書けない男であり、反骨が最大の業績では議席を占める意味はない云々と辛らつです。
ですけれども、おそらく著者は、「民衆はまず生活すべきもの」「真実の生活は人間そのものに依る以外に法はない」ことを最も主張したかったわけで、咢堂を引き合いに、「大言壮語」では目下の食糧問題は解決しないと指摘しているのでしょう。厳しい時代でした。
by itsumohappy  at 12:48 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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