『松本連隊の最後』

山本茂実著。
信州の郷土部隊、松本連隊が、太平洋戦争時、南洋の島々で最後を迎えるまでのノンフィクション。日米の記録やわずかに生き残った人々の証言に基づいて構成されています。
松本連隊は、日露戦争時には樺太の攻略にあたった伝統ある部隊で、日中戦争では金沢52師団管区歩兵150連隊に入って大陸で活躍。その後、昭和14年9月に帰還し、解散していました。しかし、18年9月、「祖国の危急存亡」に際し、再び軍旗を拝受して、翌年1月、南方に向けて出征しました。

その頃には、日本の船は「出て行ったきり戻ってこない」状態。17年秋から日本近海で敵潜水艦による被害が増大し、18年には160万トン、300隻相当の船が沈没していました。
松本連隊は、一度に全て出発せず、部隊ごとに数次にわたって、太平洋における日本海軍の最大の根拠地、トラック島の防衛に向かいました。途中、輸送船団は次々に撃沈され、残った部隊がたどりつきましたが、19年2月17日、米軍の空襲により一夜にしてトラックの補給基地は全滅しました。

制海・制空権を失っているのに、太平洋の離島に陸軍を配備して決戦を行う構想に無理があった、と解説されています。むざむざと兵を砲爆撃の目標にさらし、死なせる戦略になってしまいました。そして補給がないので、日本兵は玉砕するか餓死するかしかなかった。船の修理をするにも内地まで戻らないと再出撃ができませんでした。一方、米軍には機動部隊にくっついて動く浮きドックつきの海軍工廠がありました。

19年8月、テニアン所在の部隊が、敵地に斬り込み、全滅。松本連隊の最後です。敗残の将兵は、トカゲ、カタツムリ、ヨトウムシ等で生き延びました。

今の目から見ると、悲惨とか無謀とかそんなもの通り越しています。17年6月のミッドウェー海戦後、ひたすらひたすら破滅への道を突っ走った昔日の日本。信じられない狂気を支えたのは何だったのでしょう。
by itsumohappy  at 22:47 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する

最近のコメント
リンク
このブログをリンクに追加する
カテゴリー
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

RSSフィード
最近のトラックバック