『三陸海岸大津波』

吉村昭著(1984年)。

早いもので半年経ちました。日々新聞に出る行方不明者数は、そろそろ4千を切りそうです。死者と合わせると2万人弱。被災地はまだまだがれきがいっぱいだし、原発事故も収束しないし、このまま今年は過ぎてしまうのでしょうか。今夜、関東に突き上げるような揺れがきました。震源は千葉。最近、千葉、茨城、福島あたりが震源の地震が頻繁に起きます。関東が壊滅する日は近いのかまだ先なのかわかりません、考えてもどうにもならない。せめて、人々が空しく死なないようにこれまでの経験が生かされなければと願うのみです。

『三陸海岸大津波』は、『海の壁』(1970年)を改題して出版されたものです。吉村氏は、三陸沿岸を歩くたびに目にする防潮堤の異様な印象に触発され、地元の津波体験者の話や記録をもとにこれを記しました。

1896年や1933年の地震の直前、沿岸各地では、前例がないほど大漁だったそうです。そして、津波襲来前には、微生物の異常発生なのか海に発光現象があったとか。大震災の前には何らかの予兆があるのは本当なのでしょうか。1933年の津波をきっかけに、住宅の高所移転が始まりましたが、年月が経つうちに津波の記憶が薄れ、人々は次第に海のそばへ戻って来たとあります。まれにしか来ない津波の為に、漁業者は日常生活を犠牲にできなかった。

吉村氏が取材した町のひとつである田老町では、33年から防潮堤の建設を開始し、高さ約10m、上辺の幅約3m、総延長約2.4キロの「日本一の防潮堤」ができました。「津波は・・必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」と、明治、昭和、チリの津波を経験した人の言葉が紹介されています。明治の津波からチリの時まで、死者も流出家屋も減少傾向にあり、昔と違って今は様々な対策がなされている、というような筆致に心が痛みます・・。東日本大震災では、田老町には防潮堤の倍ほどの津波が押し寄せ、町は無くなってしまいました。今回の犠牲者数は、明治三陸津波時の2.6万人強に匹敵します。

未曾有の自然災害には、実のところなすすべもない。いかに逃げきるか、ということしか考えられませんが、「てんでんこ」といっても、自分の身だけを考えて本当に逃げられるものなのか、想像できないです。
by itsumohappy  at 21:57 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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