『新リア王』

村薫作(2005年)。
村氏は、小説のテーマ、構成、表現等全て自身の書きたいように書ける(つまり本の売れゆきなど全然気にせず書ける)数少ない作家の一人ではないかと思います。
この本の前編である『晴子情歌』は、うーん‥?とはきましたが、つまらなくはなかった。しかし、『新リア王』は、何といいますか、かなりしんどい読書を強いられたと言えます‥>< 

主人公である自民党代議士福澤榮と禅僧となった息子彰之との対話を通じて、1970年前後から80年代初頭にかけての、主に下北半島における施策を振り返るという内容です。田中派に属し、青森県連会長として地元にいろいろ尽くしてきたつもりだけれども、高度成長後の行き詰まりを感じ、地域の、そして日本の将来像がもはや見えなくなってしまった主人公。財政再建や地方分権の夢を失い、「長期的な見取り図のない政治」に埋もれていった身を淡々と語ります。自民党保守政治とは何だったのか?が小説のテーマでしょうか?

むつ小川原開発の様相が詳しく記されています。
農産物の自由化、米の減反、石油ショック等々の影響を受けて、「明日の金のために今奔走するほうが先」、と生き残るのに必死な自治体には、大規模開発に賭ける以外の選択肢がなかった。そうして石油備蓄基地に続き、原発や核燃料サイクル施設等も誘致した。しかし、原発などを抱えた土地は、どこまでもエネルギーの供給地にしかならず、過疎が半永久的に固定されるだけだった。原発が来ても未来がないことは地元自身承知しているけれども、将来の見通しよりも先ずは推進ありきという国の原子力政策のもと、政治家と自治体は(電源三法交付金という)「不透明な政治加算の大盤振る舞い」をもって妥結を図ってきた。そもそも、原子力事業については、国策なのに「真の御者」がいないという制度的問題を抱えているのにも関わらず、しかるべき検証をしてこなかったため、今日(小説では80年代初めの設定)、かくも信頼性を欠いている。しかし、自治体には、どこかに責任を問うている暇もなければ、時代を読んでいる暇もなかったのだ…と、主人公の独白が続きます。

このような、深いテーマを扱った意欲作なのです。けれども、マニアック過ぎて、小説の面白さを追求できるようなつくりになっていません。『マークスの山』とか『レディ・ジョーカー』の時のように、もっと読者をのせてほしい。残念なり。といった感想ですなー。
この作品の続編がありますが(『太陽を曳く馬』)、読むにしてもだいぶ先になりそうです。
by itsumohappy  at 22:53 |   |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑
Comments

先が見えない社会

何でもこの作品は日経に連載されていましたが、ストーリーが見えないせいか、途中で打ち切られてしまったそうです。小説のテーマとしては難しかったような・・。原発行政の制度的欠陥にも言及しているのはよいのですけれども。

とんでもない悲劇と喜劇の世の中になって、社会派の作家にはますますつらいものがありますね。現実がシュールすぎて。
by hiro 2011/07/10 23:23  URL [ 編集 ]

未来のない地方

読んでいないのですが、日記を拝見して思ったことは、高村さん自身が未来の見えない地方の現実とその重さに押し倒されてしまったのでしょうか、というものです。
by 作 2011/07/10 20:55  URL [ 編集 ]
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