『さようならコロンバス』

フィリップ・ロス作(1969年)。
有名な作家ですが初めて読みました。
んーこれといった感想がありません。物語としては特にどうということなく、淡々としています。特別面白くはないけれどもつまらなくはない。若者向けかなぁ。若者の感性がないと瑞々しさ、切なさみたいのは伝わってこないかも。感覚の老いた私にはあまりぴんときませんでした。
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『名誉と恍惚』

松浦寿輝作(2017年)。
知らない作家で、初めて読みました。大学の先生・詩人だそうです。お弁当箱本で、かなり重かったです。
上海租界を舞台にしたハードボイルド?かな?。面白い作品です。主人公の運命やいかに。と引き込まれ、あっという間に読めます。地図が付いているともっとよかったです。
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『制作』

エミール・ゾラ作(1886年)。
居酒屋ジェルヴェーズの長男、クロードが主人公です。モデルはセザンヌ、マネ。
印象派の台頭、制作に苦闘する芸術家たち、サロン出展をめぐるかけひきなど、当時の様相がよく伝わってきて面白い。才能がありながらそれをなかなか表現できない主人公の行く末は、とはらはらさせられます。小説はこうでなくては。
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『失われた時を求めて』 第五~七篇 

「囚われの女」「逃げ去る女」「見出された時」(9~13巻目)です。

やっと最後まで読みました。3か月かかったよー 
「囚われの女」からは、プルーストの死後、関係者が原稿を整理して出版されました。まとめた人によっていくつかの版があります。作者の推敲が完全ではないので、矛盾する箇所も多々あります。そのような疑問点は、各巻の脚注で解説されており、それを参照しながら読むのもけっこう手間です。

『失われた時を求めて』は、全く読者の存在を意識しておらず、ひたすら主人公の私生活と社交生活の様相を、教養をちりばめた表現でえんえん描写する小説です。注記がなければさっぱりわからない部分が多い。注記を見てもわからないところもある。サロンでの会話も何が面白いのかぴんときません。
話の流れも、思いつくまま書き連ねている印象で、まとまりがない。なぜか傑作らしいのですが、当時の大国、フランスの大長編小説だからなりえた? やはり、現在でいうところの「小説」とは異なります。私のイメージする小説は、プルーストのほぼ同時代人をあげればゾラの作品でしょうか。

『失われた時を求めて』の前半では、名門貴族のエレガンスの真髄のようなものが語られます。毎夜のように開かれるサロンでの知的なやりとり。主人公にとってはそれが普通の世界であるところに何か居心地のわるさを感じてしまいます。ゾラが描いた下層階級、例えば炭鉱夫の惨めな生活などを思うと、社会の分断ぶりは想像を絶するものがあるのですが。

後半では、上流貴族のサロンに、次第にブルジョワ階層が入り込んでサロンの質が変容し、貴族たちも老いぼれて輝きを失っていきます。また、主人公は、同性愛と倒錯の世界にもひとかたならぬ関心を持ち続ける一方、仕事としての書き物にはそれほど華々しい発展はありません。これは、体が弱いのとなまじ裕福であるため、死にもの狂いにならなくても生きていけるからですね。

「囚われの女」に、主人公がアルベルチーヌを幽閉状態にして始終貢物をし、ママンは浪費に腹を立てるというシーンがあります。ロールスロイス、毛皮、宝石。ヨットも検討している。家の金使い放題の、わがままでしかも卑怯者の主人公にげんなり。審美眼とか芸術談義とかそりゃあたいしたものなのかもしれませんが。

『失われた時を求めて』でもドレフュス事件には何度も言及されています。でもドレフュス支持か反ドレフュスか、主人公は観察するだけで、批判の姿勢をはっきりとは見せません。これは、もしかしたら検閲とか、当時の出版事情を意識したのかも。そこいくとゾラは勇気がある行動の作家でした。

まとめますと、安楽な空間で、妄想と趣味的生活に浸る半引きこもりによる超長大な独白録。何かしらの描写が優れているとしても、何もこの小説で見つけなくともよいと感じました。気の短い私には全く向いていなかったです><
by itsumohappy  at 23:02 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『失われた時を求めて』 第四篇 

「ソドムとゴモラ」(7・8巻目)です。

やっと半分過ぎました。この巻では、登場人物の同性愛がクローズアップされますが、まわりくどい表現なので、特別衝撃を受けるとかそんな部分はありません。けっこうなボリュームでも一向に話が進まないのは相変わらずです。

だんだんこの主人公の独善的な部分が明らかになってきています。自由の身のままでいたいがために、自分の作り話に涙を流しながらアルベルチーヌを騙す、なんて記しています。
主人公は、今で言うニートといいますか、でもお金はあるので高等遊民と言うべきか。仕事をすることもなく好き勝手に暮らしています。

「仕事をしろ、健康的な規則正しい生活をしろと母や祖母から言われると、それだけで気持ちが動揺して、かえって仕事や規則正しい生活を始めることができなくなる」と申し立てて、何年もの間、主人公の母や祖母は、そういうことは一切口にしないようにしてきた、とあります。もちろん、規則正しい生活をするつもりはなく、言ってみれば遊んでばかりで、興味があるとされる文学に関しても、特段自分で何か書き始めたりするわけでもありません。
こんなダメダメぶりを素直に書いているのだからある意味すごいです。
by itsumohappy  at 20:27 |   |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『失われた時を求めて』 第三篇 

「ゲルマントの方」(5・6巻目)です。
主人公はゲルマント公爵夫人のファンで、追っかけをするほど。夫人のエレガンス、才気に心酔しています…といっても、どれほどの才気なのか、読んでいてもさっぱりぴんとこないんですが><
まあ、とにかく心底ゲルマント夫人を愛していて、それがいかばかりかというと、「私が神に願うことのできる最大の幸福は、夫人の上に一切の災難が襲いかかり、夫人が没落して一切の特権を失って私に隠れ家を求めに来ること」というように表現しています。

あと、サロンでのやりとりがえんえん続きます。この部分についても、何をもって才気、エスプリなのか全然わからないです。
ドレーフュス事件への言及が多くなり、ドレーフュスを支持するか否かで割れた当時の社交場の雰囲気は伝わってきます。

とにかく一描写が長いのと思いつつくままに記述が広がるスタイルでまとまりがなく、ここまできてもたいして話が進まないのは驚異的です。
by itsumohappy  at 19:39 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『失われた時を求めて』 第一篇 

「スワン家の方へ」 (1・2巻目)です。
家にある古い文庫が読みにくくて途中で投げ出したので、少しでも新しい訳(by鈴木道彦氏)であらためて開始です。13冊あるので、1週間に1冊でも年内に終わらないなあ。でも年内完了をめざしたい。ノルマを課さないとたぶんこれは読めない気がします‥。

1913年から刊行されたこの作品は、プルースト他界時には四篇までしか出版されず、残りは遺族が遺稿を整理して出版されたそうです。プルーストの一生は実質この作品だけに捧げられました。

主人公が、幼少期からのありとあらゆる記憶をひたすら呼び起こし、ひとつひとつの事象をくどくどと丹念に描写していきます。気の短い私には全然向かないと初めからわかっているのですが、大きな活字と丁寧な訳注に助けられてただ今3巻目突入です。

とりあえず、1・2巻の感想。
紅茶に浸してやわらかくなったマドレーヌを紅茶と一緒に味わったとたんに、原因不明の力強い快感が体に入り込み、過ぎ去った日々の様々な記憶がわきおこる。そんな主人公は、感受性豊かで文芸を愛好する腺病質男子です。別宅のあるコンブレーでは、家の一方にスワン家(ブルジョワ)、反対方向にゲルマント家(貴族)があります。2巻目では、スワンの、オデットに対する狂おしいような恋が描かれます。淡々と散発的に物事が語られ、なにか中心となるストーリーが出てくるわけではありません。
ですが、ぼーっと読んでいるとわけわからなくなるので、それなりに集中力が要ります。

家同士の付き合いは、階級を抜きに語れない。今日から見るとかなり窮屈な社会です。スワンは、自分の身分につりあわないオデットと一緒になったことで、いっとき主人公の家から距離を置かれますが、主人公は、スワンの娘ジルベルトに夢中で、スワン家のサロンにも出入りしています。このサロンというのもどうやら重要な舞台のようです。
19世紀後半のフランス(上流)社会の一端をのぞいてみましょう、的に読み進めます。
by itsumohappy  at 20:54 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『親鸞』 激動篇・完結篇

五木寛之作。2011年―2014年の間、地方紙44紙に連載されたものです。最初の連載時からだいぶ経っていて、続編が出来、完結していたことを知りませんでした。

罪を許された親鸞は、越後から笠間、次に京都へと移り、専修念仏をいかにして広めるか、極悪人に救いはあるか等々、思い悩みながら念仏とは何かをきわめていきます。

著者は、「これは典型的な稗史小説」と言っています。中国で、民間の風聞を身分の低い役人が集めて献上したものを稗史というのだそうです。つまり読み物ってことですね。
事実、様々な登場人物を配し、事件を取り混ぜたフィクションで読者を飽きさせません。4冊でもあっという間に読めます(活字が大きいこともある)。若い読者には親鸞を「オヤドリ」と読む人もいたそうで、この小説をきっかけに、親鸞という人をより詳しく深く知ろうという人がいれば作家として本望、と述べています。
by itsumohappy  at 20:24 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『オリエント急行の殺人』・『そして誰もいなくなった』

アガサ・クリスティー作(1934年・1939年)。
今のところ、図書館で適当な小説を見つけていないので、家にあるミステリーなど手軽なものを読んでいます。もともと推理小説はあまり読まず、どれが良いのかよくわからないため有名なものから攻めます~。たまに、読みながら前に読んだかも?と思うことがありますが、この2つは読んでいないですね。

やはり翻訳ものは文がすらすら目に入ってこない。いくら気楽に読もうと思ってもぼけーっとしていると話がわからなくなります。特に最近だめなのが名前。10人かそこらは出てきますし。何度も何度も登場人物表を見てしまう。ほんと覚えられなくなりました。まだ英米系の名前だからまし?なんですがー。

ストーリーはどちらも普通に面白いです。意外に昔の作品です。交通・通信の状況が現代と決定的に違っているのはやむをえない。この点、推理小説はものによっては古びてしまいますね。

by itsumohappy  at 20:12 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『イーグルを奪え』 

バーバード・コーンウェル作(1988年)。
叩き上げ英陸軍中尉の活劇。なんでもシリーズもので有名らしい。1807年、ナポレオンがイベリア半島を侵略すると反フランス運動がおこり、英国はスペイン支援軍を送ってゲリラとともに仏軍と戦う‥という時代背景です。

エリート士官との確執や華麗なライフル技などが描かれます。‥んーあまり興味ないなあ・・・。
イーグル、とは旗のことです。この軍旗の重みが想像以上です。旗こそ連隊の象徴、国の誇りの象徴であってこれを奪取されることは恥辱だそうです。『戦争と平和』の1シーンを思い出しました。
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『ブルックリン・フォリーズ』

ポール・オースター作。2005年の作品。和訳は2012年に出ました。
お話はそれなりに面白いです。インテリ崩れ?の都会人を中心に、人々が苦しみ、支え合い、日常の幸せを見出していくような。うーん。会話が洒落すぎていて普通の人たちのようでいて普通ではないなぁ。うーん。言うなれば低予算の佳作映画のような感じですかねぇ。
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『強制収容所のバイオリニスト』

ヘレナ・ドゥニチ・ニヴインスカ著(2016年)。副題「ビルケナウ女性音楽隊員の回想」。
著者は、1915年、ポーランドのルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)生まれ。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所などで1年3カ月過ごしました。

1939年9月、ドイツに続きソ連がポーランドに侵攻し、いっときソ連がルヴフを占領したものの、独ソ戦開始後ドイツが占領しました。著者は、反ナチス活動家と知らずに彼らを家に間借りさせたという理由で、母親とともに43年、逮捕され、オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)に移送されました。

バイオリンを学んでいた著者は、幸い収容所の音楽隊に所属することができ、一般の囚人よりも衣食住に恵まれて生き延びましたが、一般棟にいた母親は病死。収容所の描写は、映画「シンドラーのリスト」の場面と同じです。残虐とか残酷とかそんな言葉ではとても言い表せません。

収容所音楽隊では、著名なバイオリニスト、アルマ・ロゼ(マーラーの姪)がカポ(監督)をしていました。ロゼの指揮で、著者ら隊員は、囚人が収容所に出入りする際に行進曲を演奏しました。移送されたばかりのユダヤ人が、悲劇的運命を知らず、降車場からまっすぐガス室に進んでいる脇でも演奏に没頭し、周囲の悲劇に気づかないふりをし続けたとあります。自分を守るためにそうせざるを得ませんでした。

45年5月に収容所から解放されましたが、身内を失い家もない著者は、音楽隊仲間の助けを得て生活し、やがて音楽関係の仕事につくことができました。音楽隊に入っていたことで戦後、収容所体験者からも非体験者からも白い目で見られたそうです。戦争時代の記憶を消し去りたいと思っていましたが、数少ない強制収容所の生き残りの一人として、次世代に当時のことを知ってほしいと願い、2012年になってこの回想記の作成に取り組みました。今、100歳を超えて存命のようです。
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『黄色い牙』 

志茂田景樹作(1980年)。阿仁マタギのお話です。最近全く見かけないけどエキセントリックないでたちで有名だった著者に似合わぬ、がっちりとした面白い小説です。

秋田県北東部、奥羽山脈ふもとの、根子、比立内、打当などの里が阿仁マタギの部落です。この小説の舞台は架空(たぶん)の「露留」です。マタギのしきたり、掟が詳しく説明されています。マタギ道?は、密教、修験道の影響を受けており、日光派、高野派の流派があります。それは、代々のシカリ(統領)に秘伝される由来書(狩猟のための越境の通行手形となる)でわかり、阿仁マタギは日光派だそうです。

シカリを継いだ主人公とその家族、狩猟仲間のエピソードを中心に、1922年(大正11年)~1943年(昭和18年)まで、時代の波に翻弄され、やがて衰退しゆくマタギ村を描きます。巻狩りの様子や奇妙なマタギの風習が興味深い。今でも行われているんですかねぇ。
森吉山に行ってみたくなりました。
by itsumohappy  at 19:29 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『騎士団長殺し』

村上春樹作(2017年)。
村上本はタイトルが上手いと思います。何だろう?と興味をひくものがあります。そして、ストーリー運びも上手くてどんどん読み進められる。会話も都会風でしゃれている。相変わらずあってもなくてもいいような性描写がうっとうしいな。あれ、この登場人物、前の何かの作品にも出てきた人に似ているなぁ。あれはどの本だったっけ。んー思い出せない。

すいすい読んだけど結局何の話だったかほとんど覚えていない、というのが村上氏の作品の印象です。『騎士団長殺し』も同様でした。少し時間が経ったら話を忘れてしまいそうです。

いっとき楽しめるけれども本当にそれだけ。何年間かはそんな作品が続いてもよいかもしれないけれども、近頃は世の中どんどん変化・混沌としてきています。作品も相応に何かがっつりしたものがないとなー。いつものごとく、ファンタジックで豊かな別世界で才気走った話をしていてもなー。

1巻目の舞台設定はそそるものがありました。これをどう着地させるのか、させられるのかと読み進めたのですが、2巻目の半ば、穴に突入後のアドベンチャー?から何かしらけてしまいました。それで、落ちがこれ?1巻目で展開した設定の必要があったの?と拍子抜け。これはもしかしたら続編があるのかもしれません。その後の説明がないままになっている描写がありますし。

やはり、創造には限界がある。これは、何も村上氏の作品に限りません。最近、世の事実がきつすぎるのか、小説が気の抜けた作り事に見えてしまうことが多いのです。
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『火山に恋して -ロマンス』

スーザン・ソンタグ作(2001年)。原題“THE VALCANO LOVER”です。この作家の著作を初めて読みました。

ナポリの火山を愛する主人公、英国公使カヴァリエーレ(ハミルトン卿)を中心に、その妻となるエマ、英雄ネルソン提督が登場します。他に、ゲーテ、アントワネット、モーツァルトなど同時代の有名人の名が随所に出てきます。

時代の雰囲気もよく出ていて、お話はとても興味深いのですが、表現が回りくどくて読みにくい。色々な人々が交錯していて、面白くなるはずなのに!もっとシンプルに展開してくれればなー。最後のイタリア女性の登場も唐突で、とってつけたような感じ。ただこの女性のモノローグは重要です。構成のバランスがよくないのかなぁ。もやもや感が残りました。
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『松風の家』

宮尾登美子作(1989年)。この作家の本を初めて読みました。京都の茶家、「後之伴家」の物語。モデルは裏千家ですね。どこまで本当の話なのか知りませんが‥。

明治の御一新により、それまでの大名公家相手のお茶では宗家の存続が危うくなります。茶道具や家財を手放しながらの苦しい日々が続くなか、新しい家元は、茶湯の一般大衆への普及を目指します。
と言っても、茶道の広まりを語る内容ではなく、利休を祖とする家の継承が主題です。家に振り回され、縛り付けられる主人公(新家元の異母妹)の出生の経緯をはじめ、次々と家の秘密が明らかになっていきます。「家にとって重宝か、都合が良いか」で全てが決められても、主人公はその運命を淡々と受け入れていきます。

京都弁炸裂です。ちょっと読みにくいくらい。「京に生まれた人間が大人になるちゅうことは、ものの察しがようなるちゅうことや。世のなかには暴いてはいかん真実というもんがある、長追いはおやめやす。」みたいな調子です。

「長男だけは天皇さんで他の子は皆道具のひとつ」なんてありますが、裏千家当代の長男は、お茶の道を選ばず、分家してしまいました(家元を継がない男子は苗字を変える)。今は絶えてしまった家の姓をひとり名乗る(名乗らせられる?)ことになりましたが、その姓は、この本で主人公の夫となった業躰の家のもよう。まあ、茶人となった次男がいるので、裏千家は存続するのです。
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『山怪 弐』

田中康弘著(2017年)。山の不可思議目撃談、『山怪』第2弾です。

狐火、神隠し、「出る」小屋などの定番がやはり登場。林業従事者が「山林にいて嫌な気持ちになる場所」の話もいくつかあります。何でも、切りたくない木、残さなければならないと感じさせる気を発する木があるそうです。

野麦峠で夜、車内で休んでいたら昔の女工に取り囲まれたとか、谷川連峰でテントの周りを悪いモノが歩くから撤収し移動したとか、怖いよー。谷川はいかにもたくさん漂っていそうです。
霊感がなくてありがたい。
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『花と龍』

火野葦平作。1952年6月から翌年5月にかけて読売新聞に連載された小説です。
主人公、玉井金五郎とマンの、1902年(明治35年)ごろから30数年間にわたる苦闘を描くものです。作者の父母がモデルとなっているそうです。

福岡県の若松周辺が舞台です。筑豊の石炭輸送のため、洞海湾を行き交う船を相手とする沖仲士たちの物語が主体です。川筋気質というのか、この地の独特な雰囲気がよく伝わってきます。

あまり、こういう、親分子分の義理人情やら面子やら浪花節満載の小説は好きではない、といいますかかなり苦手なのですが、主人公が道を切り拓いていくさまはお話として面白い。小説の楽しさがありました。
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『呪われた腕』ほか

トマス・ハーディの短編集です。表題作のほかは、『妻ゆえに』、『幻想を追う女』、『わが子ゆえに』、『憂鬱な軽騎兵』、『良心ゆえに』、『羊飼の見た事件』、『アリシアの日記』。1881~1893年の間に発表されたものです。

誰もが持っている、人の暗い部分がどれにも描かれていて、ちょっともの悲しい読後感です。奇をてらわない筆致で読みやすかったです。
解説によると、ハーディは明治期から紹介されており、教科書にもよく載っていたそうです。ハーディのストーリーには、仕方ない、そういう運命だ、みたいな諦念があり、日本人には受け入れられやすかったとあります。
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『薔薇の名前』

ウンベルト・エーコ作。1980年の作品ですが、日本で出版されたのは1990年です。
話題になった小説で、家にあったのですがずっと放置していました。奥付を見ると、90年3月の4版で、初版は1月とありますから、売れたんですねぇ。

14世紀はじめ、元異端審問官バスカヴィルのウィリアムと見習修道士メルクのアドソが、イタリアの修道院で起きた連続殺人事件の解明に挑むというストーリーは、当時、映画を見ていたので知っていました。映画は、中世のおどろおどろしい雰囲気がよく出ていて、なかなかよくできていました。

原作はえらく難しいらしいということで、長年読まなかったのですが、すいすい、とは無理でも予想より順調に読み進められました。ただ、同じ内容にしても、もっと面白くかつ短く書けるんじゃないかなぁ。また、もとの文章のせいでしょうが、日本語がところどころかなりわかりにくいです。

教皇と神聖ローマ帝国皇帝との関係や、清貧をめぐる論争など歴史的な背景をおさえて読むとよりわかりやすいでしょう。キリストの清貧を信仰の真理として認めるかどうか、そんな論争や教理問答がけっこう続きます。当時、正統とされることに妙な疑問を呈したりすると、異端として糾弾されたわけで、実に窮屈です。

「禁じられた書物」の禁止の理由も語られていますが、どうもぴんとこない。そんなによくないことかなぁ?? この中世の感覚にどれだけ関心を持って入り込めるかで面白さも変わってくるかな。
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『蒼ざめた馬を見よ』ほか

五木寛之の短編集です。表題作のほか、『赤い広場の女』、『バルカンの星の下に』、『夜の斧』、『天使の墓場』が収められています。1966~1969年に発表されました。

五木氏は、今は人生論・老人論や親鸞など宗教家の物語を主に書いている感じですが、初期はこのようなスリリングな作品を書いていたのですねー。
話に引き込まれて今でもそれなりに読めます。ただ冷戦の頃を全く知らない人だとぴんとこないかもしれません。


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『天使の囀り』

貴志祐介作(1998年)。
『黒い家』とは異質の怖いお話。SFホラー?みたいな。思ってもみなかった展開で、どんどん読み進められます。虫が出てくるので、どうにも気持ちわるく‥。
この作家は最近書いているのかな。
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『天国でまた会おう』

ピエール・ルメートル作(2013年)。
大作です。楽しい内容ではなく、文の調子にも多少のくせがありますが、小説を読む面白さがあります。『アレックス』同様、後味はよくないなあ(― ―) 
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『ドレの新約聖書』

『ドレの神曲』の続きで、今度は新約聖書の挿絵本を借りてみました。
キリストの生涯など新約聖書をベースにした絵画は多いので、筋をよく知らなかった『神曲』の挿絵に比べ、すごい世界が描かれている!という感じはしませんでした。『神曲』同様、人々の表情の描き方がいいです。たった数本の線で色々な感情を表わせる。

『旧約』は図書館になかったので、リクエストしました。
しっかし、黙示録というのが何を語るものなのか私にはよくわからなくて‥><
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『劇場』

又吉直樹作(2017年)。

感想はないです。自分に才能がないのを受け入れられない自意識過剰な主人公に関心が持てない。「世界のすべてに否定されるならすべてを憎む」なんて言っているし。女性の方は、純粋無垢というより、bakaなんじゃないか? などと感じてしまっては、物語の世界に入っていけませんねぇ。若者向きの小説なんでしょうね。
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『ヒルビリー・エレジー』

J.D.ヴァンス著(2017年)。副題「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」。ヒルビリーとは、田舎者のことで、「大学を出ずに労働者階層の一員として働く白人」です。「レッドネック」、「ホワイトトラッシュ」とも呼ばれます。

著者は、鉄鋼業の町、オハイオ州ミドルタウンなどで育ちました。製造業が衰退したラストベルトと言われる地帯です。「仕事も希望も失われた地方都市」での生活から脱出し、オハイオ州立大を経てイェールのロースクールで学び、「アメリカンドリーム」を手にしました。その過程をつづるエッセーです。
400頁ほどのけっこうな厚さですが、活字が大きいこともあってすぐ読めます。

著者の家族を中心に白人労働者階層の「ヒルビリー」ぶりが詳述されています。登場人物として、著者の実父のほか、継父や「父親候補」として5人の名前が出ています。著者の母は、教育熱心ではありましたが、ドラッグ中毒で、警察や裁判所沙汰になっても更生せず、著者からも半ば見限られているほど。

周囲でも貧困・離婚・ドラッグがはびこり、人々は怒りや不信感にまみれ、どこへ行ってもけんかをしている。
そのような、貧困から逃れられない白人労働者階層の人々は、アメリカで最も厭世的傾向にある社会集団なのだそうです。

彼らについて著者は、「自分たちの問題を政府や社会のせいにする傾向が強く、しかもそれは日増しに強まっている」と批判し、「保守主義者たちの言動は、社会への参加を促すのではなく、ある種の疎外感を煽る。結果として…住民からやる気を奪っていく」と分析しています。

数か月おきに父親(役)が替わるという家が嫌になった著者は、祖母に引き取られ、落ち着きを取り戻します。この祖母という人もかなり強烈な人なのですが、根本は勤勉・誠実であり、貧しくとも何とか切り抜けていく知恵を持っていました。
道を外さずに済んでも、心からよりよい生活を送りたいと願った著者は、基本的な社会生活に自信をつけるため海兵隊入りを決意。ここで、金銭管理、健康・衛生知識など大人としての生き方を教わり、強い意志をもって行動することを学びました。

ヒルビリーは、将来に対する期待値が低く、自分の選択は無意味と思い込んでいる。生活を向上させたいのなら良い選択をするしかなく、それに向かって全力を尽くすべきだけれども、よい家庭に恵まれず、貧困のあまり動くに動けない人々は、えんえん浮かばれないのでしょうか。トランプ氏が言っていた「忘れられた人々」の様相が伺えます。

日本でも子どもの貧困とか格差とか報道で聞くことが多くなりました。でも、これを読めば、米国ほど極端な格差ではないだろうと推測します。
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『幻の女』

ウィリアム・アイリッシュ作(1942年)。
家にたくさんある古い推理小説をたまに読んでいます。どれが面白いかよくわからないので、選ぶのが少々やっかい‥。

これは、重要証人である幻の女を必死に探すお話です。だいぶ終わり近くになったのに犯人がわからないよ?と思いきや、そうきたか。と、まあ納得のいく終盤でした。昔の小説ですけれども、まあまあ読めました。
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『ドレの神曲』

14世紀はじめのダンテ『神曲』のあらすじにドレの挿絵をつけたものです(谷口江里也 構成)。

権力闘争に負け、フィレンツェを追放されたダンテが地獄・煉獄を経て天国に到達するまでのお話。ドレの版画(木口木版)は、1861年発表されたもので、当時ヨーロッパ中で評判を呼んだそうです。地獄には、ギリシャ・ローマ神話の登場人物、怪物、政敵、貪欲な法王、異端者などあらゆる人々が登場します。天国のイメージは単純なものですが、地獄の描写はあれこれ凝っている。ドレはそのイメージをよくとらえて、精緻な絵にしています。マホメットも地獄に落ちて胸を裂かれている。キリスト教を絶対視する感覚にはなじめないです。

この本のあらすじを専門家が書いているわけではないですが、とりあえず『神曲』が、おおよそどのような内容か知るには絵も楽しめてよい本だと思います。
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『私は英国王に給仕した』

ボフミル・フラバル作(1971年)。チェコの作家です。ナチス占領下のチェコの街が舞台です。
かなりユニークな小説で、ブラックユーモアなのか、ひねった体制批判なのか、読み進めてもよくわかりませんでした。そのどちらでもない感じです。戦争に翻弄される普通の(こ狡い)小市民の半生をありのまま描くもので、読みやすくそれなりに面白いです。

ドイツ人との関係、ホテルを手に入れた経緯、釘を打ちつける息子の部分は、軽快な語り口でも、かなりぞっとする場面です。
このまま終わっていいのか?と気になりましたが、終盤、森林に暮らし、動物たちに囲まれるシーンでほっとしました。やはりある種の罰と救いがないと落ち着かないですから‥。
by itsumohappy  at 21:37 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

『林業がつくる日本の森林』

藤森隆郎著(2016年)。著者は、森林総合研究所で造林などの研究をしていました。

持続可能な社会を構築するには、地域の自然を活かした循環型社会づくりが必要です。木材は生態系を循環する物質なので、日本の最大の自然資源である森林を適切に管理・利用すれば、地球環境問題の解決にもなります。優れた森林技術者の育成に国はもっと注力すべき、という内容です。

日本では、世界でも早く、400年位前から人工林育成作業が行われていました。しかしながら、現代では、放棄された人工林が多く、林業が軽んじられています。森林の維持に不可欠な間伐作業も、補助金目当ての数値目標の達成のため、建設業者による荒い作業が行われ、周囲の木を傷つけて価値を台無しにするような事態が起きています。

1960年代初め、木材輸入の自由化をきっかけに林業は衰退しますが、市場開放は外圧によるものではなく、日本が自発的に行ったことだそうです。当時は、国の発展のためには林業くらいはどうなってもよいという意識があったのだろうと著者は推察しています。近代化政策のもと、農山村政策が犠牲にされた結果、森林技術者の育成も手薄になりました。

ドイツをはじめとする欧州諸国では、そのような技術者(フォレスター)の育成体制は整っており、尊敬される職業でもあるそうです。
人材の育成だけではなく、誇りを持って働けるかどうか、森林技術者には特別な地位を与えることが必要であると著者は指摘しています。
by itsumohappy  at 20:17 |   |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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